本来は「合理的」=「簡単」であるべき!

大学受験では、「合理的」=「難しい」

高校で学校の授業を受けているときに、非合理的な理科科目や、解釈がなく覚えにくい数学などにうんざりしていた記憶がある。

そんな中、合理的に説明してくれる難しい参考書に酔いしれて、夢中になって読んだ記憶がある。

しかし、参考書が難しいので、読むのに時間がかかったことを覚えている。

本来は、「合理的」=「簡単」であるべき

本来、合理的なものはわかりやすく、すぐに理解できるべきである。それなのになぜ難しくなってしまうのか。

それは、合理的に記述しようとすると厳密性が問われるので、複雑な数式を用いるからだと考えられる。

大学受験で、「合理的」=「簡単」にする2つの方法

高校で合理的なものをすぐに理解するためには、2つの方法が考えられる。

  1. 説明に用いられている暗黙知を先に学ぶ
  2. 数式を用いず論理だけを追ったものを学ぶ

難しい参考書が難しいのは、暗黙知を知らないからだ。その説明に用いられている基礎知識を先に学んで、参考書の7割は知っている状態にしてから読むと、スラスラ読めて、効率的だ。

もう一つの方法として、本質的な論理だけを抽出したものを学ぶことが考えられる。例えば「古典物理は、運動方程式を仮定してそこから運動エネルギー保存則や運動量保存則などを導き出している」などだ。このように論理の全体像を把握しておけば、無味乾燥な暗記にも意味が生まれて覚えやすい。

この2つ目の方法を手助けする書籍や環境が少ないように感じる。センスの良い先生からの口頭伝承からがほとんどであるように感じる。

人間を統一的に扱いたい!

抽象化すれば全体が見渡せる

物事を抽象化すると、具体的なことはわからなくなるが、その代わり全体をすっきり見渡すことができる。

群論では、個々の演算の計算方法を扱わずに、一般的な演算に成り立つ法則のみを取り出してみることで、統一的に演算を論じることができた。

人間も統一的に扱いたい

人間のモデル化は複雑だといわれている。しかし群論のアナロジーで、思い切ってうまく抽象化して扱うことで、統一的に論じることはできないだろうか。

つまり、このタイプの人はこういうタイプと人と接するとこう感じる・こう行動する、などという個々の関わりの法則ではなく一般的な関わりに成り立つ法則を議論することで、見えてくるものがあるのではないかということ。 と群論の話をきいて思った。

これはまだ思いつきなので、もう少しあたためていきたい。

線形代数の2つのアプローチ

具体的に攻めるか、抽象的に攻めるか

線形代数をはじめ学んだとき、定義がごちゃごちゃになって曖昧になった記憶がある。今思えば、それは2通りのアプローチがあったからだとわかる。

  1. 具体的な数ベクトルや行列を定義して議論する方法
  2. 抽象的な線型空間や線形写像を定義して議論する方法

そして、線型空間の代表例として数ベクトルが考えられ、線型写像の代表列として行列が考えられる、という関係性がある。

教えるときは全体像を見せてから

線形代数を教えるときは、この2つが混じり合って出てくるので、無駄にややこしく感じるように思う。

このような全体像を見せてから教える方が、知識の解釈がしやすくなり、すっきり整理されて脳内に残るのではないかと思う。

人間は何でも好きになれる!のでは?

趣味嗜好は生まれた時から決まっている?それとも?

僕これが好き、私はこれイマイチだな、ということがよくある。人によって趣味嗜好が異なるということ。

これは先天的なのか、後天的なのか。つまり脳の構造的な違いで趣味嗜好が変わるのか、それとも育ってきた環境で変化するものなのか。その両方だとしたら、どちらの影響が大きいのか

趣味嗜好は自由自在

そもそもなぜ、これが好きあれが嫌いなどとなるのか。

自分自身を振り返ると、好きになろうと思って好きになる根拠を色々と考えれば、大体のものを好きになれる気がする。自分自身を説得して、いわば洗脳をする。

それでも好きになれない場合は、考えると2種類思いつく。

  1. 嫌な過去の体験が強く残って、消しきれない
  2. 説得力のある過去の考えが強く残って、消しきれない

例えば、僕は犬が苦手で近寄れないが、これは幼稚園のときにどでかい犬に吠えられたからだ(1の理由)。さらに犬が苦手だと公言してその理由を話すことで、余計に犬が苦手なことに説得力が出てくる(2の理由)。ただ、パートナーに「犬好きじゃないと別れる」と言われれば、必死になって好きになる根拠を考えて、好きになれる気がする。現実は異なるからやらないだけで。

また、僕はお国のために命を落とすのは御免だが、それは人生一度きりで自分が好きなように生きることこそ正義だという考えがあるからだ(2の理由)。ただ、戦時中はこのように命を落とした人は多いわけで、当時生きていたら僕もきっと率先して堂々と命を落としていたと思う。

そう考えると程度問題で、なんでも好きになろうと思えば好きになれるのかと思ってしまう。

つまり、趣味嗜好は先天的な影響はあるかもしれないが、基本的に後天的なもので、任意の状態に変化させられるということ。

調査したい

という感覚があるが、今後調査して科学的にどういう知見があるのかまとめたい。

無邪気に生きたい

ブログの目的

自分のやりたい方向に進んで生きている人が羨ましい。そういう人は目標が明確なので行動に無駄が無く、心と体が一致し健全なので邪気がない。

目的 1. 考えていることを言語化して、思いを明確にする

大学にいると特にインプットの時間が多いが、なかなかアウトプットの機会がない。アウトプットをしているとよく理解できることが多いので、アウトプットの機会を増やしたい。どうせなら他の人と共有したい。

目的 2. 学んでいることを 言語化して、知識を固定化する

twitterでもいいが、雰囲気の違いを感じるので、ブログで書こうかなという次第。

方針

アウトプットしたい欲が溜まって、欲求不満になってきたら、書く。

内容は

  • 雑記
  • 疑問
  • 調査
  • 解釈

の4種類に分けられそうかなという予想。

自己満足ブログなので、PVを意識しないように気をつける。 つまり、PVを意識して、思ってもいない刺激の強い記事を書かないように気をつける。